6月28日読売新聞朝刊のコラムを読みました。
「博士の愛した数式」の小説にある「完全数」6と28をこの日に持ってきたことやタイガースの江夏投手の背番号「28」、将棋の神谷八段の「28」連勝も興味深い記事です。しかし、何より今話題の中学3年生の最年少棋士・藤井聡太四段の話です。コラムは無傷の29連勝を成し遂げて、28の次の完全数は496だという。まさか、ね。 と結んでいます。
教室に通って来る中3生を藤井棋士に重ねてしまいます。「完全数」より「未知数」に期待を抱きます。テレビのニュース速報に出るくらいだから、彼らも当然同い年の少年に関心を寄せていると思います。
先日の授業前、テストの前日でしたがいつもはきちんと宿題をしている中2,中3生が宿題を残していました。つい注意をしてしまいましたが、ふと藤井棋士の話を思い出しました。「なぜ宿題をする必要があるのか?」と担任の先生に問い詰め議論を交わしたというのです。解っていることを何故やらなければならないのかというのが彼の言い分だそうです。もしかすると宿題をやり残した生徒たちも「その通り」と抗議しているのかも知れませんね。テスト前になるとついつい宿題が多くなり、生徒の気持ちや負担を考えているのかと反省することもあるのですが、ただ、この「やらなくてもよいのでは?」には条件があります。藤井棋士の言う「解りきったこと」です。理解ができて完全に自分のものになっての話です。つまりやらなくても100点が取れるかどうかです。そうでなければ、やはり少しでも自分なりの上を目指しつつ励むべきだと思います。藤井棋士に限らず最近各分野で中学生の活躍が目立ちます。価値観の多様化は喜ばしいことです。学校や勉強だけに留まらず、自分のやりたいことや好きなことを見つけ、果敢に挑戦する若者を素晴らしいと思います。自己表現し黙々と夢を追う自立した彼らを応援したい気持ちと、そういう時代をうらやましいという気持ちもあります。でもどんなに時代が変わっても変わらないものもあると信じます。それは「思いやり」と「見守る」という文化です。
優しさという思いやりと、我慢強く見守るという心をもって、これからも子供たちを指導していきたいと思います。